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価値観と価値感

いまや価値「観」は価値「感」へと変容してしまい、「感kan」じるものであっても、「観kwan」じるものではなくなったのであろう。


「感」は、どちらかといえば受動的であり、好き嫌いのレベルで直感的に受け取っているという
意味合いが強い。一方、「観」には、ただ単に「目に入るものを見る」のではなく、「念を入れて気をつけながら見る」という意味があり、そこには能動的で主体的なこころの営みがある。


価値「感」には、自分で考え判断することを停止し、自らの価値を主体的、創造的に見出したり選択することを放棄してしまった受け身的な「マニュアル人間」「指示待ち人間」の姿が映し出されているように思われる。


人と対話していて考えが対立すると、ただ単なる好みの相違を「カチカンがちがう」と表現するのと同じレベルで、「あなたとはカチカンがちがうから」で済まそうとしていないだろうか。

そのとき、まさに感じ方( 価値「感」) の違いを直感と主観で言っているだけで、自分なりの見方や考え方( 価値「観」) を表明することを避けていることが多いはずである。「カチカンがちがう」と言ってしまえば、こころの葛藤を回避して嫌な思いをしなくて済むけれども、それ以上の相互コミュニケーションは成り立ちにくくなる。


多様な価値を「感kan」じる感受性は必要であるけれども、やはり「観kwan」じることを欠いてはならないであろう。自己韜晦することなく、自分の価値「観」をしっかりと持つように心がけてほしいと思う。

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